ほったらかしにされて出現した限界ニュータウン。荒廃し、ぽつりぽつりとしか使われていないこの土地は、どうにもしようがないまま今に至ります。どうにもしようがないままでいいのでは、という意見について吉川さんはどう考えているのでしょうか。
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會長 吉川さんは、ご著書『限界ニュータウン』で、所有者不明の放置された土地は自然に還ると言う人がいるが、そうはいかないだろうと、お書きになっています。自然に還るには、整理をしないままだったら、ものすごく長い年月がかかる。短期的には簡単にはいかないよ、と。
吉川 はい、そうです。そういう土地が生まれてしまう仕組みそのものが今も昔も変わってないので、そのまま放置すれば解決するというのは楽観的に過ぎると思います。
私、いつも言っているんですが、人口が減ったからといって、街はきれいに外側から収縮していくわけじゃないんですよ。私がそうなんですけど、安ければ必ず住む人がいるので、ぽつぽつと家が建っていて、一方でぽつぽつと空き家が増えていって、外側からだんだん虫食い状になっていく。そういう虫食い状のエリアが、だんだん都市部に近づいていく。
會長 地方の場合だと、『限界ニュータウン』でお書きになっているのとは異なる、もともと「限界集落」と言われてきた土地があります。人口が減って集落が機能しなくなっても、おじいちゃんおばあちゃんたちは住み続けている。最終的に困るのが、その人たちのケアをどうするのかという問題です。
電気も、事業者はたった数人のためだけに通電したくない。事業コストから言って割に合わないから。将来的には、住む人たちが自腹で負担しなさい、という方針になるかもしれない。でも、それは新入住民についてであって、生まれてからずっと住んでいる高齢者に対してはそうは言えない。だから、結局、その人たちがいなくなるまで待ってる、っていう状況。
吉川 昔、70年代に過疎が最初に問題になったときは、行政が過疎集落の住民を町に移住させたりしていましたね。特に東北などの豪雪地帯で多かったと思います。だいたい、移住先でも元の集落の人はそのまま集まって住んでいたりするんですが。
あと、集落が自主的に解散したケースが信州でありました。山奥過ぎて、炭焼きなんかをやっていても全然生計がたてられないってことで、そこの住民みずからの判断で集落を解散して、市街地に移り住んだ。ですが、たぶん現在の限界集落ってそんなことをやる体力が残っていないと思うんです。昔はまだ若い人がいて、その人たちが先導したからこそできたことであって。
會長 1960年代に炭鉱が閉山になったとき、行政は炭鉱夫のお世話をしていますよね。50歳くらいで自力での再就職が難しくなっちゃった人たちに仕事の斡旋とか。今はそんなに面倒見はよくないでしょう。
吉川 分譲地の場合だと、区画ごとに持ち主がばらばらで、区画所有者間の人的交流も全くないので、結局それぞれ個人の意思で行く末がバラバラになっていくだけなんです。そのまま自然に還るかなあと思っていた土地が、突然資材置き場になったりとか。
會長 ますます、その土地の水道・下水は困ることになる……。
吉川 はい。人が減ってきた土地は不便になるので、ますます安くなる。そうすると、そこに住む人が必ず出てきます。山奥の限界集落や閉山した炭鉱町と異なり、私が調べているような分譲地は自然消滅を待つには街から近すぎるんです。
會長 車があると街に行けちゃう。
吉川 はい。私が住むエリアなんて、駅前に住んでる人だって車に乗って出かけるんですよ。
會長 各駅に巨大な駐車場があります(笑)。ご著書『限界ニュータウン』の書評を毎日新聞で書くとき、電車に乗って八街を見に出かけたのですが、印象に残っています。
吉川 駅前の建物なんてどんどん壊して駐車場にしている状態ですから。私の自宅のある千葉県横芝光町の横芝駅も、昔は駅前にビルがあったんですけど、ほとんど壊して今は駐車場になっています。
駅の近くに住もうが、商業施設の近くに住もうが、結局車に乗る生活をしている。だったら、駅から離れていても安い不動産のほうがいいや、って選択肢がどうしてもでてきてしまうんですよ。
會長 市場の成り行き任せだから、限界ニュータウンは短期的にはなくならない。いや、人生の長さからしたら「いつまでも」かな。
吉川 そうです。いつまでもなくならないんですよ、ほんと。よく、コメントなどでも「需要がなければだんだん廃れていくんだからそのままでいいんじゃないの」という声があるんですが、いやいや、そんなにきれいに外側から収縮していくことはありえない、と私は考えています。むしろその結果が、今私が追いかけている限界ニュータウンの現状なのだと思います。
起きているのは単なる「衰退」ではなく、都市の「荒廃」なのだと強く主張していきたいです。
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吉川さんと會長のおしゃべり、まだまだ続きます。