書評者と著者と読者の本屋「松原商會」@PASSAGE by ALL REVIEWS のBlog

社会経済学者・松原隆一郎(放送大学教授、東京大学名誉教授)と丁稚が営む、書評と書評された本と読者をつなぐ一棚書店

#23 2023年の松原商會をふりかえる

今日は大晦日松原隆一郎會長が店の様子を見に自転車でキコキコやってくると、丁稚がせっせと棚の本を一冊一冊拭いています。

會長:大掃除がんばってるね。僕の地元、阿佐ヶ谷の「うさぎや」でどら焼き買ってきたよ。一息いれよう。

丁稚:わーい。コーヒー淹れてきます。

會長:お茶じゃなくて?

丁稚:このまえ新宿のベルクで買ってきたコーヒーがおいしいんです。どら焼きと合うと思いますよ。

コポコポ

會長:モグモグ。クピクピ。たしかにどら焼きとあうね。

丁稚:モグモグ。どら焼き、おいちー。

會長、今年もおつかれさまでした。2022年3月に創業した松原商會が2年目に入った今年は、基本的に安定して売れなかったけど、飛躍の年だった気がします。

會長:うむ。松原商會の今年を振り返ってみよう。

まず、丁稚がこのブログを始めたね。

(1回目がこちら)

matsubaraandco.hatenablog.com丁稚:はい。そもそもブログを始めたきっかけは、會長が毎日新聞書評欄「2022年 この3冊」に選んだ本の著者の方々と會長との対談を公開する場にするためでした。

會長:なんでこんなふうに、架空の店舗での僕と丁稚の架空のおしゃべりがいっぱい載ってるの?

丁稚アフィリエイトで収益を得るには30記事くらい必要ってどこかで読んだんです。で、対談を載せる前に、まずとにかく何か30くらい記事を載せようと思って。何も考えずに書いてたらこの設定の記事ができてました。

會長:回数稼ぎだったのね。

丁稚:設定もおしゃべりも架空ですけど、會長の発言は會長が言いそうなことを書いてますよ。會長に事前に確認して修正も入れてもらったうえで公開してますし。

回数稼ぎの記事だけじゃありません。最初は松原商會の自己紹介的な記事を載せてました。あと、だいじなのが、松原商會のお客さまとの交流をこのブログでご紹介できたことです。

會長:「小日向さん」とのご縁だね。

matsubaraandco.hatenablog.com丁稚:はい。最初は「謎の客」だった小日向さんと會長の間に時空を超えたドラマが生まれて感動しました。

會長:うれしい出会いだね。

丁稚:松原商會で販売してきた本のほとんどを小日向さんが買ってくださっています。

會長:ありがたいことです。

『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、登場

丁稚:そして、いよいよ、會長が毎日新聞で書評した本の著者の方と會長の対談をブログに載せ始めました。『限界ニュータウン』著者、吉川祐介さんとの対談です。

matsubaraandco.hatenablog.co會長:うん。楽しい対談だった。

丁稚:松原商會でお売りする『限界ニュータウン』の付録用に描いていただいたイラストが予想をはるかに上回る人気で、あっという間に完売。追加で仕入れて補充してもすぐ完売でした。「売れない本屋」という松原商會のアイデンティティーが崩壊した数日間でした。

大人気だった吉川さん手描きイラストと書評へのコメント返し

丁稚:このカードは、「書評者と、書評した本の著者と、読者を双方向でつなげる本屋」である松原商會の定番付録「會長の書評への、著者からの手書きコメント返しカード」です。吉川さんももちろん、イラストとともにコメント返しを書いてくださってます。會長の書評のコピーとセットで本にお付けして販売しました。

毎日新聞書評欄に掲載された、會長による『限界ニュータウン』書評

會長:買ってくれた人たちは、僕の書評も読んでくれたのかなぁ。

丁稚:吉川さんが描いてくださったイラストは、かつて吉川さんがマンガ家をめざしていた頃に描いた作品の登場人物なんですよね。この付録の大評判で、作品があらためて注目されたかも。ぜひ新作を描いていただきたいです。

會長:新作といえば、吉川さんの新刊がもうすぐ発売されるね。

丁稚:『限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話』(朝日新書)が1月12日に発売だそうです!


會長:帯を書いている原武史さんとこのまえ放送大学の教授会で隣の席だったんだけど、吉川さんのことを「傑物です」と大絶賛してたよ。

丁稚:吉川さんとの対談記事はまだ途中までしか公開してないので、残りはこの本の発売にあわせて記念公開したいと思ってます。

『東京の創発的アーバニズム』著者 ホルヘ・アルマザンさん、登場!

會長:松原商會の今年の飛躍といえば、松原商會が雑誌デビューしたことだね。

丁稚:はい。対談のお二人目、『東京の創発的アーバニズム』著者・ホルヘ・アルマザンさんとの対談を、雑誌「建築ジャーナル」に3回連載で載せていただく機会に恵まれました。アルマザンさん、建築ジャーナルさん、ありがとうございます!

『東京の創発的アーバニズム』著者のホルヘ・アルマザンさん(左)と、會長。(松原商會の前にて)

1回目(2023年12月号掲載)では、『東京の創発的アーバニズム』とともに、松原商會の活動についてもご紹介させていただきました。

2回目(1月号掲載)では、會長が、阿佐ヶ谷で創業して銀座の有名店になった焼き鳥屋さんを例に、東京の経済的繁栄を担うのは個人が冒険や試行錯誤ができるような賃料の安い「揺籃の場」から生まれるエコシステムだ、と語っています。

1回目掲載の、2023年12月号

2回目掲載の、2024年1月号

會長:焼き鳥屋さんは、名店「バードランド」のことなんだ。

アルマザンさんは、西荻窪のような「創発的アーバニズム」(住民のボトムアップによる都市システム)が街の経済的サステナビリティを生む一方、企業主導の画一的な再開発は街をつまらなくするだけでなく利益にもつながっていない、と語っている。

丁稚:3回目(2月号掲載)では、ハイエク理論と再開発についてのお二人の語らいをご紹介する予定です。

會長:アルマザンさんと松原商會は、あることを相談中なんだよね。

丁稚:はい。楽しみです!

松原商會の2024年

丁稚:「2022年この3冊」のもうお一人、『生きつづける民家』著者・中村琢巳さんとの対談はまだご紹介できていません。棚のラインナップも入れ替えできてなくて。會長の共著の新刊『アントニオ猪木とは何だったのか』(集英社新書)もまだお売りできておらず…。

會長:丁稚のトロさは壮大だね。

丁稚:2024年の展望は年が明けてから話し合いましょう。

みなさま、今年も一年お世話になりました。

松原商會の2024年は新たな活動も計画しております。どうかこれからも松原商會をよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

#22 「限界ニュータウン」問題はほっとけば解決できるのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【8/全12回】

限界ニュータウン』(太郎次郎社エディタス)

 

ほったらかしにされて出現した限界ニュータウン。荒廃し、ぽつりぽつりとしか使われていないこの土地は、どうにもしようがないまま今に至ります。どうにもしようがないままでいいのでは、という意見について吉川さんはどう考えているのでしょうか。

會長 吉川さんは、ご著書『限界ニュータウン』で、所有者不明の放置された土地は自然に還ると言う人がいるが、そうはいかないだろうと、お書きになっています。自然に還るには、整理をしないままだったら、ものすごく長い年月がかかる。短期的には簡単にはいかないよ、と。

吉川 はい、そうです。そういう土地が生まれてしまう仕組みそのものが今も昔も変わってないので、そのまま放置すれば解決するというのは楽観的に過ぎると思います。

吉川祐介さん(右)とウチの會長(左)

私、いつも言っているんですが、人口が減ったからといって、街はきれいに外側から収縮していくわけじゃないんですよ。私がそうなんですけど、安ければ必ず住む人がいるので、ぽつぽつと家が建っていて、一方でぽつぽつと空き家が増えていって、外側からだんだん虫食い状になっていく。そういう虫食い状のエリアが、だんだん都市部に近づいていく。

會長 地方の場合だと、『限界ニュータウン』でお書きになっているのとは異なる、もともと「限界集落」と言われてきた土地があります。人口が減って集落が機能しなくなっても、おじいちゃんおばあちゃんたちは住み続けている。最終的に困るのが、その人たちのケアをどうするのかという問題です。

電気も、事業者はたった数人のためだけに通電したくない。事業コストから言って割に合わないから。将来的には、住む人たちが自腹で負担しなさい、という方針になるかもしれない。でも、それは新入住民についてであって、生まれてからずっと住んでいる高齢者に対してはそうは言えない。だから、結局、その人たちがいなくなるまで待ってる、っていう状況。

開発から約50年が経過した分譲地(千葉県富里市)(吉川さん撮影)

吉川 昔、70年代に過疎が最初に問題になったときは、行政が過疎集落の住民を町に移住させたりしていましたね。特に東北などの豪雪地帯で多かったと思います。だいたい、移住先でも元の集落の人はそのまま集まって住んでいたりするんですが。

あと、集落が自主的に解散したケースが信州でありました。山奥過ぎて、炭焼きなんかをやっていても全然生計がたてられないってことで、そこの住民みずからの判断で集落を解散して、市街地に移り住んだ。ですが、たぶん現在の限界集落ってそんなことをやる体力が残っていないと思うんです。昔はまだ若い人がいて、その人たちが先導したからこそできたことであって。

www2.nhk.or.jp

會長 1960年代に炭鉱が閉山になったとき、行政は炭鉱夫のお世話をしていますよね。50歳くらいで自力での再就職が難しくなっちゃった人たちに仕事の斡旋とか。今はそんなに面倒見はよくないでしょう。

吉川 分譲地の場合だと、区画ごとに持ち主がばらばらで、区画所有者間の人的交流も全くないので、結局それぞれ個人の意思で行く末がバラバラになっていくだけなんです。そのまま自然に還るかなあと思っていた土地が、突然資材置き場になったりとか。

會長 ますます、その土地の水道・下水は困ることになる……。

吉川 はい。人が減ってきた土地は不便になるので、ますます安くなる。そうすると、そこに住む人が必ず出てきます。山奥の限界集落や閉山した炭鉱町と異なり、私が調べているような分譲地は自然消滅を待つには街から近すぎるんです。

會長 車があると街に行けちゃう。

吉川 はい。私が住むエリアなんて、駅前に住んでる人だって車に乗って出かけるんですよ。

會長 各駅に巨大な駐車場があります(笑)。ご著書『限界ニュータウン』の書評を毎日新聞で書くとき、電車に乗って八街を見に出かけたのですが、印象に残っています。

八街駅前(吉川さん撮影)

吉川 駅前の建物なんてどんどん壊して駐車場にしている状態ですから。私の自宅のある千葉県横芝光町横芝駅も、昔は駅前にビルがあったんですけど、ほとんど壊して今は駐車場になっています。

駅の近くに住もうが、商業施設の近くに住もうが、結局車に乗る生活をしている。だったら、駅から離れていても安い不動産のほうがいいや、って選択肢がどうしてもでてきてしまうんですよ。

會長 市場の成り行き任せだから、限界ニュータウンは短期的にはなくならない。いや、人生の長さからしたら「いつまでも」かな。

吉川 そうです。いつまでもなくならないんですよ、ほんと。よく、コメントなどでも「需要がなければだんだん廃れていくんだからそのままでいいんじゃないの」という声があるんですが、いやいや、そんなにきれいに外側から収縮していくことはありえない、と私は考えています。むしろその結果が、今私が追いかけている限界ニュータウンの現状なのだと思います。

起きているのは単なる「衰退」ではなく、都市の「荒廃」なのだと強く主張していきたいです。

*

吉川さんと會長のおしゃべり、まだまだ続きます。

#21 「 限界ニュータウン 」はキャンプ場にすればいいのでは?/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【7/全12回】

『限界ニュータウン』(太郎次郎社エディタス)

「書評者(=松原商會會長・松原隆一郎(社会経済学者))」と「書評された本の著者」と「読者」を双方向コミュニケーションでつなぐ書店「松原商會」。

ウチの會長が毎日新聞で書評し、「2022年この3冊」にも選んだ『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さんをお迎えしておしゃべりする連載「『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい」。7回目の今回は、いよいよ「限界ニュータウン問題」の解決について語りあいます。

土地問題について関心がなかった人、よくわからんという方も、ところどころで丁稚が基本的なことを恥ずかしげもなく質問しているので、わかりやすくお楽しみいただけます。

會長 小屋を建てる話を書いておられますよね。

僕が連想したのは、いまキャンプがブームだから、土地を買ってキャンプに使う人がいるんじゃないかと。単なる投機ではなく、実需で買う。僕の知り合いでも、高尾あたりにキャンプに行くような男性が少なくありません。

吉川 私も見たことがあります。家が一軒もない分譲地で、以前はただの空き地だったんですけども、久しぶりに行ったら整地されてキャンプスペースが作られていました。

千葉県のキャンプ場は予約をとるのも大変ですが、予約をとったらとったで騒がしいなどの問題が起きます。最近はキャンプ場のマナーが問題になっていますよね。

そういう分譲地に作られたようなキャンプスぺ―スは、よく見かけるというほどでもないですね。いったん土地を買うと手放すのが大変ですから。

吉川さん撮影

會長 吉川さんがこれまで住んでこられたエリアの土地は、買うのは安いとしても、維持費はどのくらいかかるのでしょう? 何十万で買ったとして、持ってるだけだと一年間でどのくらいかかるのですか?

吉川 分譲地に限って言えば、建物が建っていなくて地目が山林だったら、固定資産税はかからないと思います。

でも、たとえば今私が住んでるところがそうなんですけども、水道管が来てるんですよ。上水道。住宅地だったら水道があるほうがいいんですけども、そうなると地目が宅地扱いにされて課税されます。私が持っている土地は30坪、固定資産税は年間4900円です。

會長 そのくらいで収まるのかぁ。

吉川さんの自宅周辺(吉川さん撮影)

吉川 自分で使うために持っている土地なら全然気にならない金額ですけど、相続した人にとってはきっとおもしろくない話だと思います。見たことも行ったこともない土地について、それまで名前も聞いたこともなかったような自治体から毎年5000円請求されて。

もうそうなると金額の問題じゃなくて、気分の問題になってきますね。自分が相続していやな思いをしてるから、子供には同じ思いさせたくない、と。お金を払ってでも手放したいと思っている人は一定数います。

會長 その土地をキャンプで使いたい人とマッチングできないかな。

吉川 そうなんです。実際そういうサービスもあるんですけど、今の時点ではどれもあまりメジャーになっていません。まともに価格の付く不動産ではないので、手放す側に金銭的な負担がかかる話になってきますから。ビジネスとしても隙間産業的な位置づけにしかなっていません。
税金がかかっていない土地は、みなさん腰が重いですね。売るためにそんな手数料を払わなくてはならないのなら放っておこうか、ということになって…。

語りあう吉川祐介さん(右)とウチの會長(左)

會長 九十九里のほうまで単線が続いているから、途中の土地でキャンプできると楽しそうですけどね。

吉川 大体の分譲地はどんな僻地であっても家が1戸か2戸くらいは建ってたりするんですよね。家が本当に1戸もないところって、建物の建築許可がおりないこともあるので、そういうところだと今度は逆に不動産屋が全然扱いたがらないんですよ。そんな土地はまともに売れないので。

「建築許可がおりない」ってどういう場合?

丁稚 「建築許可がおりない」って、どういう場合ですか?

吉川 都市計画法が定めている「都市計画区域」では、土地に道路が接していないといけないんです。
しかし、私が暮らしている千葉県横芝光町もそうなんですが、多くの分譲地が、開発当時はまだ都市計画区域外で、その当時は接道義務がそもそもなかったんです。ですから、その頃はどこにでも家を建てられたし、建築確認申請そのものが必要なかったんです。

ですが、分譲地ができた後にその土地が都市計画区域に含まれると、建築基準法が認める道路に面した土地でないと建物が建てられなくなってしまうんです。

吉川さん撮影

都市計画区域に指定された時点で家が一軒も建てられていなかった分譲地は、そこにある道路は、アスファルトで舗装された道路であっても、建築基準法上の道路として認められなかったところがとても多いのです。するとそこは、「未接道」とみなされてしまい、そのまま建築確認申請が受理されない。つまり” 建築不可の土地 ”になってしまったんです。もしかしたら、土地の持ち主は今でもその事実を知らないままの人が多いかもしれません。

丁稚 なんとかそこに家を建てたい、と思った場合はどうすればいいんですか?

吉川 今からそこを建築基準法上の道路として認めてもらうには、もう一回、開発許可申請を出さなきゃいけません。ただ空き地に自分の家を建てるだけなのに、開発許可申請を出して、分譲地内の道路を認定してもらって…そんな馬鹿げたこととてもやってられません(笑 )。

會長 法律が変わって建物が建てられない、ってことは僕も経験があります。

以前、阿佐ヶ谷で、ある土地を買おうとしたことがあるんです。値段もよかった。ところが、仲介してくれた方が途中で気づいたことがあって。じつは、そこの土地は法律で指定されて、隣の土地と一緒にしないかぎり建物を建てられない物件だったのです。不動産屋はそのことを私に知らせずに売ろうとしていた。

吉川 下町などでも、いわゆる“再建築不可”、つまり建て替えできない古い家がいっぱいありますよね。
昔は、接道の長さが適当でも建築許可がおりて家が建っちゃってたんです。いま計ってみたら、本来ならば道路が2メートル接続していなくてはならないのに1.9メートルしかないことがわかって再建築不可になる、というようなケースが結構あります。

下町の古い建物と聞いて丁稚が思い出した蔵前の本屋さん。もはや建て替えてほしくない宝のような存在(丁稚撮影)

會長  それなりに質を上げようとして規制を厳しくているのかな。そういう場合、建てるのはがまんしなさい、ってことですか。

吉川 そうです。それでもなんとか建て替えたい人がよくやると言われているのが、柱を一本だけ残して、リフォーム。もはや、ほとんど建て替えなんですけど(笑)。そんな話はよく聞きます。柱一本は大げさな話だとしても、原型をとどめないレベルのフルリフォーム。「新築」はできないってことで苦肉の策です。

こんなふうに、法律があとになって変わって、その土地が新しい法律に適合しないために建物が建てられないケースは、都会でも田舎でもあります。

次回は、”限界ニュータウン”はほっといたら自然に還って解決するのか?について、吉川さんとウチの會長が語りあいます!

#20 吉川祐介さんにとって「書くこと」とは/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【6/全11回】

吉川さんのブログや本を読まれた方はご存じのとおり、吉川さんの文章には独特の味があります。この文章力はどうやって培われたのでしょう。今回は、吉川さんに「書くこと」についていっぱいお聞きしました!

「吉川さんは町田康のようです。」(松原隆一郎會長)

會長 吉川さんはいろんな仕事をなさっていますね。バスの運転手とか、コンビニの店員とか。

吉川 ずっとそんな生活だったんですよ、私。本を書くなんて想像もしたことなかったです(笑)。

會長 それにしては独特な語り口で、お書きになる文章にも文体があります。

吉川 確かに、本はすごく読みました。基本的に古本屋に行って、目についた本を買うという感じで。ジャンルも雑多で。

會長 それって、町田康と同じです。

町田康私の文学史: なぜ俺はこんな人間になったのか?

作家になって芥川賞をとる前、「町田町蔵」って名前でパンクミュージシャンをやっていた頃、古本屋で手当たり次第に百均の本を買ってきて読んでいたそうです。芥川賞の選評にも「この人がどれほど大量の本を読んでいるのか分かる」とあったほど。

吉川 私も本当に雑多な本を読んでいました。

會長 どれくらい本を読んでいるかは、文体にでます。吉川さんの本からも読書遍歴が伝わってくる。

丁稚 特にノンフィクション作家の鎌田慧さんの本を読んでいらっしゃったそうですね。インタビュー記事で読みました。

吉川 鎌田慧さんの著作は、もう半世紀も前のすごく古い本です。私はとりたてて特定の著者を熱心に追いかけて本を買っていたわけでもないのですが、『死に絶えた風景』などをよく読んでいました。

會長 新日本製鐵の話ですね。『自動車絶望工場』はトヨタについて書いている。

鎌田慧を読んできたからか、吉川さん自身にも現場に潜り込んで調査して、っていう志向が感じられます。

鎌田慧自動車絶望工場-ある季節工の日記』(丁稚私物)

本の執筆依頼が次々と!「執筆計画」の立て方について語り合う

丁稚 次の本のご予定はあるんですか?

吉川 はい。1冊は新書で、もう一つは単行本でお話が始まっています。

限界ニュータウン』では主に住民や暮らしにスポットを当てていて、楽待不動産投資新聞では悪徳不動産業者の話を書いたりしてるんですけども、前著は社会問題としてはあまり掘り下げてないところがあるので、新書でわかりやすくまとめるつもりです。

単行本は、これから企画を詰めていくところですが、YouTubeの作成のために取材したネタで展開していこうと考えています。

丁稚 新書はたくさん売れそうですね。

吉川 初版の部数を聞いて、さすが新書だなと思いました。

丁稚 いつごろ刊行予定ですか?

吉川 新書は来年初頭発売予定です。

吉川 あと1社、東京でやったイベントの時に編集者さんからお話をいただいたんですが、3冊同時にはちょっと無理なので待っていただいています。しかたなく。

本当は執筆の仕事を最優先でやりたいんですけと…。

いただく仕事を全部は受けきれないので、仕事量とスケジュールを上手く調整する方法を考えないといけないなと思っています。

會長 着実にやられた方がよいでしょう。出版社に期待されることも重要ではあるからつい無理しちゃうけど、内容がよければ遅くても編集者はついてきてくれます。

吉川さんの「ニュータウン」と、社会学者の「ニュータウン

會長 社会学者のいう「ニュータウン」は、学者の仲間内の表現かな。「虚構の果て」の空気感の描写は吉川さんにすっかりとられてしまった。

吉川 たぶん、私が扱っている「ニュータウン」は、その方々が言っている「ニュータウン」のさらに外側だと思います(笑)。

會長 まだ夢があるのが「内側」なのか。…「外側」を書くのにはセンスが必要です。

吉川 実際に住んでる人は他にはいない、とはよく言われます。

吉川さんの「次のネタ」について話し合う

會長 さらに次はどんなテーマですか。

吉川 次の本のネタも考えていかないと…。出版社さん、待ってくださっているので。

會長 多方面で待たれています。

吉川 僕、「ジモティー」で自分の土地を売ったりもしたことがあるのですが、そのへんの話は詳しく書いたことがないので、それでもいいかなと。

會長 それは食いつきがあると思う。限界ニュータウンの土地って、安くても売買にリスクはないのか、とか。ネタにして吉川さんに勝てる相手はいないでしょう。

土地の売買が趣味だったのですか?

吉川 そうですね(笑)。以前買った土地が、生活が変わって要らなくなっていて。ちょうど『限界ニュータウン』を書いている時に、お金もなかったので売ることにしたんですが、不動産屋に仲介手数料を払いたくなかったので、「ジモティー」で自分で広告を出しました。

jmty.jp

購入希望者は外国人ばかりだったんですけど。ほとんどスリランカ人でした。

會長 自分で広告を出した、って…素晴らしい。そのスリランカ人たちはコミュニティーを作っているの?

吉川 なんでしょうね? 私が暮らしている地域のスリランカ人は中古車の輸出をやっている人がとても多いので、その関係かと思うんですけど、

會長 一時期、新潟からロシアに中古車を大量に輸出していましたが、そういう関連の仕事かな。

吉川 スリランカでは、日本のような不動産売買市場が発達しておらず、人のコネクションを介さないと不動産を買えないらしくて、彼らは母国と同じ感覚で土地を探しているのだと思います。
私が売っていた土地は狭かったので、「社長、もっと広い土地ないの?」とか何度も聞かれて、「俺は不動産屋じゃないからここしか持ってない」って何回も言ったんですけど(笑)。今でも「社長、土地ないの?」って電話かかってきます。

會長 その話ですでに本を書けそう(笑)。

吉川 それとはまた別件で、この前は岩手まで土地をもらいに行きました。そういう話はまだ書いたことがないので、また違う切り口で書けるかなと。僕の個人的な話になりますけど、同じような話ばかり書いていてもしょうがないので。

YouTubeと執筆とのかねあい

吉川 私、執筆をメインでやっていきたいので、YouTubeとの兼ね合いをどうするかも考えています。

會長 YouTube、あそこまで作り込んでいたら大変です。

吉川 やりすぎましたね(笑)。動画はもっと費用をかけないでやっていかないと。

會長 衝撃を受けました。「資産価値ZERO」ってタイトルもおもしろすぎる(笑)。

吉川さんのYouTubeチャンネル。丁稚も初めてこのタイトルを見たとき、コーヒーを吹き出しました

吉川 でも、何百万回再生されるような動画でもないですから。そもそも内容的にそうなるのは無理だと思いますし。あの題材では子供は見ないので。どうしてもターゲットがしぼられてしまう以上しようがないです。

ただ、応援のメッセージをいただけるのはうれしいです。

丁稚 執筆のほうに力を入れていきたいのはなぜですか?

吉川 文章を書いてるほうが100倍楽しいからです。

會長 書き物って、ずっと籠ってやらないと気持ちが折れちゃうところがある。YouTubeを同時には大変ですよ。

吉川 それに、私、動画編集って苦痛でしかないんですよ。取材や撮影をしているときはいいんですけど、編集はつまらないです。

會長 それにしては遊び心は満載ですよ。よく作り込んでいますね。「磯村建設~♪」とか音楽入れたり…。僕の家の近くを取材なさった回もありました。荻窪日大二高通りの。

吉川 サンハイツ荻窪ですね。

會長 こんなところまで来てるって、びっくりした。

吉川 磯村建設が作ったマンションですね。あのマンションの撮影のためだけに荻窪に行ったんですよ。車で行ったのでコインパーキングに入れようと思ったんですけど、サンハイツ荻窪の前が袋小路だったので、一緒に行った妻に車を見ててもらって、1分くらい撮影して、すぐ車に戻りました。

次回は、「限界ニュータウン」は解決できるのか、についておしゃべりします!おたのしみに!

#19 「都市計画の元の資料ってどうやって調べるの?」…「限界ニュータウン」調査方法を吉川祐介さんに教えてもらいました!/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【5/全11回】

吉川さんが見せてくださった分譲地の新聞広告(どんなインチキ広告かは「#17 「健康を保証する緑の高台」「お子様の成長とともに鯉のぼりのごとく値上がりする土地」…「分譲地インチキ広告」を吉川祐介さんと一緒に味わう/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい(3 / 全11回)」、これを調べる作業の狂気については「#16「新聞縮刷版」を調べるのに発狂寸前……/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい 2回目」をお読みください!)を眺めながら、あらためて感嘆する松原隆一郎會長。

會長 吉川さんはよくここまで調べていらっしゃる…。学者のようです。

吉川 他に手段がなかったので(笑)。何の情報もなかったものですから。

會長 僕、三浦展さんの『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』(光文社新書)という本を、やはり毎日新聞で書評したんです。

mainichi.jpこの本は昭和20年代から30年代くらいまでの間にどんな乱開発が行われていたか、実際に配られたチラシを載せて、その後の想像は読者に任せている。

一方、吉川さんは法務局に出かけて、その後の実態を動画でレポートしている。チラシで終わらせない。

(ここで、會長がカバンをゴソゴソ)

會長 じつは今日、吉川さんにおみやげを持って来ました…(笑)。

會長から吉川さんに「おみやげ」進呈!

會長 僕の父方の祖父、頼介の伝記『頼介伝』です。

松原商會の推し本!會長が自分のおじいさん(頼介さん)の人生を調べまくって書いた『頼介伝』(苦楽堂)

會長 PASSAGEの棚に名付けた「松原商會」という名前は、祖父・頼介が大正時代に興した会社の名前なんです。

この本を書く時、僕のじいさんが何をやってたか、100年くらい前のことを調べて初めて知りました。その際、土地の台帳も調べたので、それについては僕も経験したからわかるんです。でも、吉川さんは都市計画の元の資料まで調べている。感嘆しました。

やり方、教えてほしいです。

吉川 はい(笑)。

吉川さんの著書『限界ニュータウン』。今も順調に版を重ねています!

吉川祐介さんはいかにして調査方法を身につけたか

吉川 都市計画の調べ方については、『限界ニュータウン』を書き始めた頃、ちょうど不動産会社に勤めていて、仲介の依頼を受けた売地について調べたりしていたので、土木事務所に行くとか、何を確認すべきかとか、そこで身に付けた手段をそのまま使いました。会社自体はすぐ辞めてしまったんですが。

行政機関にいろいろ問い合わせて資料をもらうのは、若いころよく読んでいたノンフィクション作家の寺園敦史さんの手法そのままです。あの方はずっと情報公開制度を使っていました。

會長 情報公開制度で、使えるデータは出てくるものですか?

吉川 私が役所から出すデータは、情報公開制度を使うまでもなく、普通に窓口で請求すれば出してもらえるものがほとんどですけど。寺園さんは同和対策事業についてのデータを請求していたので、黒塗りで出てきたり、なかなか出してもらえなくて、訴訟を起こしたりしていました。

同和対策事業の話になると、自治体は態度を硬化させることが多いのでそうなりがちなんです。古い運動団体の資料などを読むと、役所のナントカ対策室とか占拠してる写真などが出てきますから。窓から旗とか掲げて。でも、今は逆に役所が過敏になりすぎているような気がします。

「窓から旗とか掲げて」はこんなかんじ?(吉川さんのマンガ作品「during the WAR -丘のまちの姉妹-」の一コマ目)

會長 話を調査方法に戻すと、僕自身は、吉川さんが調査のために実際にどれくらい歩かれたのか、直観的にわかる。私自身が歩いたから。だから「このブログ、ここまでやるのか。すごいな!」と思っていました。

吉川 でも実は、私自身はあのブログはそんなに深い考えがあって始めたものではないんですよ。 

會長 それにしては裏をとってるじゃないですか。

吉川 ブログ開設当初の記事はそうでもないです。

(吉川さんのブログ第1回目(2017年12月4日投稿)はこちら!)

urbansprawl.net

吉川 私はあまり自分の記事を読み返すことはないですが、初期の記事はやはり雑な記事の書き方だと感じます。見たままの印象をただ書いてあるだけです。

でも、それだけだと、見える景色って変わり映えしないんですよ。結局はどの分譲地も空き地ばっかりですから。それでは自分の好奇心も長続きしません。

となると、記事をふくらませたり、切り口もいろんな角度から切っていかなくてはならないので…。

「吉川さんの文章は、本を読んできた人の文章だ」と、會長。次回は、吉川さんの読書遍歴と、今後の執筆についてお聞きします。お楽しみに!

#18 「YouTubeや本で地名を出すか、出さないか問題」について吉川祐介さんに聞きました/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【4/全11回】

吉川祐介さんのYouTubeチャンネル「資産価値ZERO -限界ニュータウン探訪記-」のスクリーンショット

限界ニュータウン』著者・吉川祐介さんの「限界ニュータウン」についての発信は、ブログ「URBANSPRAWL-限界ニュータウン探訪記-」から始まり、ファンがどんどん増え、その後スタートなさったYouTubeチャンネル「資産価値ZERO-限界ニュータウン探訪記」も大人気です。

それにしても、個人でブログやYouTubeを運営していると、大変なこともあるはず…。今回は、そんなお話を、松原隆一郎會長(&丁稚)から吉川さんにお聞きしました。

會長 ブログって、自虐で書いても批判が来るじゃないですか。吉川さんのブログだと「俺が住んでるところ何もないみたいに書くな」というようなコメント来ませんか(笑)?

【吉川さんのブログはこちら ↓ 】

urbansprawl.net

吉川 来ましたね、何度か。

會長 大変ですね。でも物書きをやっていると、ついつい刺激的なことを書きたくなる。自虐のつもりで書いても、「やばいかなぁ」ってあとで心配になる。良心的な編集者はそういうときに話し相手になってくれるけど、吉川さんのブログは一人でやっておられる。大変でしょう。

丁稚 先日(注:対談は3月26日に行われました)、YouTubeチャンネルの売却をアナウンスなさってましたが、何かあったんですか?

吉川祐介さん(右)と、松原商會・松原隆一郎會長(左)

吉川 それは全然別のことで 。YouTubeも、仕事になってしまった以上は続けざるをえないんですけど、今住んでいる分譲地を出ようかと考えるような私生活上のトラブルがあったのです。でもそうなると、YouTubeでやろうと思っていた企画も続けるのが難しい。とは言っても僕の仕事は動画だけでもないので、チャンネルを売却して生活費に充てようと考えたのです。

結局、近所の方も、思いとどまるように言ってくださったり、そもそもほかに住みたいと思うような場所もなかったりで、その話は取り下げました。

會長 気を取り直してもう一回、仕切り直しで。

吉川 話を戻しますと、クレームなどが来ても、それがあまり筋が通っていなかったり、明確に僕のポリシーに反している場合は反論することもあります。

消したことは、一回だけあります。群馬県の別荘地の管理組合から写真の掲載についてクレームがきたことがあって、それは別に意地を張るほど重要な写真でもなかったので素直に従い、取り下げました。

お菓子を選ぶ吉川祐介さんのレアショット!吉川さんが選んだのは、神保町にあるポルトガルのお菓子屋さん「DOCE ESPIGA」さんの「リス川のそよ風」というお菓子

地名は出さない。でも、結局…

會長 僕、今、放送大学で教えていて、放送授業を作っているんですが、版権はすごくうるさい。放送大学は、今は私学ですが、事務方の感覚は官庁に近い。元々、総務省文科省が作った公的な大学だったので、許諾を取得することが徹底されています。

吉川 地名については、この本『限界ニュータウン』でも、楽待不動産投資新聞でも、絶対に出さないのがルールでした。

會長 やっぱり。ブログを拝見して「刺激的だけど本にするのはなかなか大変だな」と思っていました。本を拝読すると具体名は消しておられましたね。

吉川 本の方針は、分譲地の個別の紹介というより、そこに暮らす感覚のようなものをメインに打ち出したいというものだったので、あまり地名は重要ではなかったんです。

會長 読む側としては、内容が面白ければ実際に行って歩いてみたいから、地名を知りたいじゃないですか(笑)。

吉川 でも、地名を隠しても、結局すぐばれるんですよ。楽待不動産投資新聞のチャンネルに出た動画も、楽待さんが「地名は出さないようにしましょう」とモザイクをかけても、公開したその日のうちにコメント欄に場所が書かれいました。見ればすぐにわかるので。

會長 見つけ出した人って、どこかに書きたがるから(笑)。

吉川 楽待のも、僕が楽待の方に「これ、モザイクかけても見てる人はわかると思いますよ」って伝えたうえで公開されました。会社としては地名は明かさないという方針をとりますが、それを調べるのは視聴者の自由ということですね。

會長 会社は、ちゃんと分からないようにしたという建前が必要なんでしょう。

かつての色街や青線地帯みたいなところを歩くYouTubeチャンネルがあるけど、結局、どこかわかる。視聴者は実際に行きたい、がホンネですから。ああいうエリアは建物もおもしろいし。大阪の飛田なんか、大正時代あたりの不思議な建物が残っていて、建築学者もツアーで見学に行くらしいです。

吉川 私の場合、正直、たとえ地名を書いても、それで実際に見に行く人がいるとは思っていなかったのです。

もともと私のブログは、千葉県の成田空港の周辺で土地を買った人とか、そこに住むことがすでに決まっている人たち向けに書いてたので、地名も躊躇なくバンバン出していました。

県外の人が読んでも、どこかわからないようなローカルな地名ばかり出てきますが、私はそもそも自分のブログを、千葉県外の人が読むことを想定していなかったんです。

丁稚 會長は、自分で現地に行って感触をつかまないと書評を書けないから、って、八街市に出かけて行って、タクシーであちこち廻って見てきたんだそうです。會長が撮ってきた写真をいっぱい見せてもらいました!

會長が撮影した八街市の光景

次回は、吉川さんの圧巻の調査方法を、會長と丁稚がここぞとばかりに教えてもらいます!

#17 「健康を保証する緑の高台」「お子様の成長とともに鯉のぼりのごとく値上がりする土地」…「分譲地インチキ広告」を吉川祐介さんと一緒に味わう/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい(3 / 全11回)

吉川祐介さんに「限界ニュータウン」新聞広告を見せていただく松原隆一郎會長

「無公害」がセールスポイントになった70年代

吉川 この広告は、どんなことを売りにして販売してたか、とか見ていくとおもしろいです。今みたいに立地のみじゃなくて「無公害住宅地」とかを売りにしてるんですね。

私が調べているエリアからちょっと離れるんですけど、わかりやすい広告の一例としてこれを見てください。1970年ですね。

「将来性備えた無公害住宅地」「健康を保証する緑の高台」1970年9月16日読売新聞掲載広告。

會長 まだ高度成長期の雰囲気だね。

かつて、ニュータウンの出現を「夢の時代」と言ったけど、 じゃ夢って何ですか、ってなったら、広告の文言は例として断然分かりやすい 。

吉川 広告にも「健康を保証する」とか書いてありますよね。

會長 健康が夢ってことですか。

吉川 ちょうどこの時期は公害の記事が毎日のように新聞に載っていますから。東京の記事なんて公害の話ばっかりです。スモッグとか、なんとかガスがどこかで発生した、とか。

會長 東京から千葉に転居を考えて視察に来るわけだ。喘息持ちの弱みに付け入ってますね。

吉川 そういう人たちに向けて、東京から遠いけれどこのくらい離れればいい環境がありますよ、と広告で呼びかける。

木更津駅前」と書いてあるのは集合場所です。広告によっては、所在地よりも、見学会の集合場所や案内所の所在地のほうがでかでかと書いてあったりするんですよ。

會長 それは三浦展さんの『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』にも出てくるエピソードですね。

三浦展『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』

 

有名なところで集合させて、2時間とかかけて、いったいどこかわからないところに連れて行かれる。着くと、丘や小川を更地にした土地に万国旗が飾ってあって、そこで説明が始まる、っていう。

吉川さんはチラシの調査にとどまらず、それから半世紀後の「資産価値ゼロ」まで追っていった。

三浦さんが集めたチラシは1950年代から60年代前後のまだ住宅不足の時期、それが満たされるのがこの新聞広告が出た1970年代前半で、問題が公害に移ってはいるけど、土地投機を煽っているというホンネは変わっていないですね。

吉川 これなんかは見学会のバスツアーの一例として用意した資料です。千葉の田舎の分譲地なのに、ツアーの集合場所が東京都内なんですよね。川崎駅、品川駅、池袋駅上野駅……。

集合場所は①川崎駅②品川駅…など都心のターミナル駅(1971年8月29日読売新聞掲載)

吉川 この時代は、限界ニュータウンに限らず、どこも同じような広告を出していたと思います。

積水ハウスのような大手の会社の広告でもありました。積水はなぜか知らないけど土浦をすごくプッシュしてて。「上野から68分の土浦」って書いてあるけど、実際はその土浦駅からさらにバスで20分の美浦村(みほむら)の分譲地…。全然68分じゃ着かないし、土浦でもないし。

積水ハウス株式会社の広告。美穂村なのに「上野から68分の土浦で。」(1975年1月10日朝日新聞掲載)

土浦を猛プッシュし続ける積水ハウス(1978年6月8日朝日新聞掲載)

會長 駅から徒歩50分だったり…(笑)。今なら怖くて買わないよね。高度成長期はデタラメだなあ。

吉川 はい。そしてこちらは当時の違反業者の摘発の記事です。

1973年3月17日朝日新聞(※記事の一部のみ掲載しています)

吉川 分譲地の場所じゃなくて、案内所の立地ばかりアピールしていた会社が処分を受けています。その一例の広告がこちらです。

「お子様の成長とともに鯉のぼりのごとく値上がりする土地」(1972年5月5日読売新聞掲載)

吉川 「津田沼駅前受付」と書いてありますが、これはただの案内所の所在地にすぎなくて、実際には千葉県松尾町(現・山武市)に開発された分譲地です。

會長 えげつないね。

吉川さんが語ってくださる「限界ニュータウン」新聞広告の異次元さについて聞き入る會長

吉川 ここも投機目的で開発された分譲地なんですけども、今も家は一軒も建っていなくて完全に放棄されてるんです。

成田駅よりバス12分」(1971年8月28日読売新聞掲載)

吉川 千葉県富里市の分譲地の広告です。「成田駅からバスで12分」って書いてありますけど、実際にはたぶん40分くらいかかります。電柱も水道も下水もありません。

一応、名目としては住宅地の販売なんですけど、広告を見ていても、なんだかあんまり生活感が伝わってこない。どちらかというと、住宅地としての住みやすさよりも、値上がりの可能性をアピールしている。今だったら、その街の住みやすさをポエムみたいに書くじゃないですか。でも、こんなものができます、道路が広がります、値段が上がります、みたいなアピールばかりしている。つまり真の目的はそこですよね。当時は実際に土地の値段は上がっていたので、上がったタイミングで手放した人もいたはずです。

次回は、フリーランスでブログやYouTubeを運営していくことの苦労について、吉川さんにお聞きします。大変だったことも穏やかに淡々と語ってくださいました。どうぞお楽しみに。