書評者と著者と読者の本屋「松原商會」@PASSAGE by ALL REVIEWS のBlog

社会経済学者・松原隆一郎(放送大学教授、東京大学名誉教授)と丁稚が営む、書評と書評された本と読者をつなぐ一棚書店

#24  小学校である日突然いなくなる同級生が続出!「〇〇くんはどこ行ったの?」と先生に聞いても教えてくれない…千葉県八街で何が起きていたのか/『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい【9/全12回】

前回から半年近くたってしまい申し訳ありません。このブログを更新している松原商會丁稚がぼーっとしてる間に、吉川祐介さんは2作目『限界分譲地』を上梓されました。

 

 

そして、うちの松原隆一郎會長がさっそく毎日新聞で書評を書きました。(2月24日掲載)

mainichi.jp

イベントでTofubeatsさんとトークしたり、高円寺で主催イベントを始めるなど、活躍の場をどんどん広げている吉川さん。もう松原商會なんて相手にされなくなりつつあります。「松原商會?え、どちらさまでしたっけ?」と言われないうちに、吉川さんの原点であるデビュー作『限界ニュータウン』を毎日新聞で書評したうちの會長と吉川さんのおしゃべりのつづきをご紹介します!(前回はこちら

* * *

會長 吉川さんがどんなふうに思われるか、直観でいいんですが、お聞きしたいことがあります。僕が今書いている本の参考にさせていただきたくて。

ヨーロッパは、日本と同様、戦争からの復興で経済成長しました。ある時期から人が郊外にどんどん移動していったのも同じです。その頃にアメリカ資本が入ってきて、郊外が無秩序に拡がる気配が出てきた。

けれどもそこからは日欧で対応が違って、ヨーロッパの行政は資本を積極的に都心に誘致し、古い建物を使わせた。いまは有名ブランドが低層の古い建物にたくさん入っています。ローマもその一つで、計画は成功したと言われています。少なくとも建物を残すのには成功している。

一方、日本は「大規模小売店舗法」いわゆる大店法を作って、駅前の商店街に大型スーパーが入ってこないようにしました。けれどもそれは都市計画ではなく経済的な保護で、商店街をつぶさないよう大型店舗を締め出した。大資本の駅前からの締め出しですね。その結果、スーパーは郊外に出ていった。大店法でも大丈夫な小さい店舗を商店街に作ったのがコンビニです。

で、結局、駅前の商店街はコンビニだけが生き延びて、競争力を持たない個人店は廃れていった。それと閉め出され資本が国道沿いで開いたロードサイドショップは隆盛を誇っている。

日本は都市計画が弱すぎたのですね。もうちょっと何かできたんじゃないかと思う。もちろん当時、こんなふうになるなんて誰も予想できなかったかもしれないけど、ヨーロッパはそれでも都市計画を作って実行したんだし。

吉川さんの衝撃的デビュー作『限界ニュータウン

今、限界ニュータウンで起きていることは、結局は都市計画がなかった帰結です。千葉の「限界ニュータウン」は虫食い状態になってるのに、東京の港区や江東区はますます高層ビルを建て、人口をスポイトで吸い上げてる状態。

僕はやっぱり、都市計画を施行して、東京の都心は高さを制限して、人が投機しないようにすべきだと思います。それでもなおっていう人は、それなりに高いお金払って湾岸に住めばいい。千葉周辺の限界ニュータウンにも上下水道がちゃんとした機能を持つ街を増やしていく。都市計画をたてることはもともと必要だったし、これからも必要。このまま放置すれば結局、どんどん人が東京に集まってしまう。

それでいまだに都市計画が機能していない。都市計画って、50年か100年のスパンで成功か失敗かが分かるもので、日本は無責任な行政がマーケットにすべて任せてきた。それでも行政はしっかり都市計画すべきだと僕は思います。自民党政府は、不動産業者の「投機好き」に押し流され過ぎました。吉川さんはどんなふうに感じますか?

吉川 私が住んでいるエリアに関しては、まず大前提として、都市計画を主導するには、自治体の財政規模があまりに小さいところが多いです。民間資本の開発をコントロールできる予算も人員もない、そういうところが狙われてきた乱開発だと思うんです。小規模自治体は総じて、開発行為に関わる規制も緩いですし。

會長 都市計画のしようもなくて規制から外れちゃってる 。

吉川 都市計画区域外のほうが開発許認可の基準が緩いので、その分安く開発できる。その結果、千葉が狙われた…。

私、今日、神保町まで来るのに2時間かかりましたから、実質的には「地方都市」なんですけども、いちおう「一都三県」の一つ、ってことで売りやすかったんでしょうね。ほんとに安い土地や山林を買って、売っていた。

行政は、関心がないのも確かなんですが、どうにもしようがないんですよね、結局。開発許可の制度って、申請の要件さえ満たされていれば、基本的に行政は拒否できないからです。申請を出されれば行政は認可することしかできないんですよ。だから、そもそも制度に問題があったんです。その結果、分譲地にいっきに人口が増えてきたら、あとを追うようにインフラ整備、っていう状態が続いたんです。

會長 で、その後、また人がいなくなった。

吉川 はい。大変です…。

これは八街の地元の方から聞いた話なんですが、バブルの頃は短期間で一気に人が増えたために、地元の小学校に大量の転入生が押し寄せて教室が足りなくなってしまい、体育館で授業をやっていたりしたそうです。

それで住民から激しい批判を浴びて、新しく小学校を作ったんですけど、その後、波が引いたように子供がいなくなって、現在はもう休校になってしまいました。学校を作ってたった20数年で休校ですよ。こんな無駄な話はありません。

會長 バブルの時期に八街で人口が増えたんですか?

吉川 はい。急増しました。

會長 僕、まさにその頃、「八街音楽祭」ってイベントに行ったんですよ。豪雨になったので大きな幼稚園を借りて三上寛が歌った。その頃の八街は、まだ全然さびれるかんじじゃなかった。だから、最近行ってみてすごく違和感を持ちました。

會長が『限界ニュータウン』の書評を書くにあたり実際に八街を見に行った時に撮った写真

吉川 八街とか富里は、バブルの頃に人口は倍くらいになったと思います。

會長 土地投機の影響ですか?

吉川 バブルの頃は家も高くなっちゃったんで、八街くらいまで都心から離れたエリアでしか家を買えない層が出ていたんです。都心のサラリーマンというより、千葉県内で働いてる人たちですね。都心まで通うのは大変だとしても、例えば千葉市だったら八街から充分通勤できるので。その頃は千葉市も不動産は高かったですから、千葉市では高すぎて買えないような人たちが八街あたりに家を買ったのでしょう。

地元の人の話では、新学期になると、始業式に講堂の壇上に転校生がずらーっと並ぶ状態だったそうです。でも、無理して家を買った人が多かったから、子供たちがいつのまにかいなくなっちゃう。昨日まで学校に来ていたのに、ある日突然いなくなる同級生が何人もいたそうです。

會長 なるほど、バブル崩壊で。

吉川 はい。親が住宅ローンが払えなくなって、前触れもなく突然姿を消してしまうのだそうです。先生に「〇〇くんはなんでいなくなったの?」って聞いても、言えない、って、教えてくれなかったそうです。

會長 その前に人口が増えたタイミングで都市計画区域に繰り込めばよかったのに、って考えるのは結果論ですかねえ。

吉川 はい。八街は2010年頃に競売物件数が全国一位になったことがあります。その年の全国一位が八街で、二位がその隣の山武市でしたから、あのエリアだけでもどれだけ多くの方が無理して家を買っていたか、このエピソードだけでもよくわかると思います。

會長 千葉市が近いっていう売り文句で、買う人がいたんですね。

吉川 はい。直線距離だと確かに近いんですよ。でも実際には全然近くない。

會長 千葉市で働いているのだったら八街あたりに住もうって人は今でも少なくない。

吉川 車を持っていることが前提になりますが、普通に住むぶんには十分だと思います。八街は、街の規模のわりには地価が安いですから。

會長 東京に通勤するとしても、電車が東京から1時間に何本かあるから便利です(笑)。

吉川 土地だけの値段でいえば私が今住んでいる横芝光町でも八街でもそんなに変わらないですけども、人口規模が違いますから、店の数は全然違います。そういう点では八街のほうがずっと便利ですね。

會長 八街の駅の北側も大きな駐車場になっていますね。車を置く需要があれだけあるということは、駅の遠くに住んで車を置いておきたい人が結構いるのですね。

吉川 駅まで車で行って電車に乗る、というのは普通です。私も今日、総武本線成東駅の近くのコインパーキングに車を停めて、そこから電車に乗って神保町に来ました。

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【つづきの10回もお楽しみに!】