「僕、いらない本なんてないよ。」(松原隆一郎會長)
松原商會の開店作業を終えた松原隆一郎會長と丁稚は、ほかの棚にはどんな本が並んでいるか、ちょっと視察。
みなさん蔵書を並べているかんじ。著作がある人は自著をたくさん並べていました。
店内の雰囲気になんだか落ち着かない會長と丁稚は、2分で視察を終え、退散。
翌日、オンラインで経営会議を行いました。
丁稚「PASSAGE、予想通り『本好き』の方たちが棚を持っている様子でしたね。本への愛が店内に満ちてました。」
會長「僕には無縁の世界だなぁ。僕、本は『敵』としか思ったことないよ。」
丁稚「『敵」とは?」
會長「僕の場合、読むことは『格闘』だから。」
丁稚「たしかに、本屋さんでゆっくり棚を楽しむ會長の姿がイメージできません。」
會長「本屋に行くことはありませんね。Amazonで買います。」
丁稚「でしょうね……。ほかの棚主さんは、蔵書を売っているようでした。毎月のテーマに沿った選書と並行して、會長の蔵書も棚に出していきましょう。仕入れ費ゼロでもっとも利益が出せる形です。」
會長「棚に出せる本なんて、僕、ないよ。いらない本なんて、そもそも持ってないもん。」
丁稚「え。」
PASSAGEの概念を根底からひっくり返すかのような會長の言葉に、丁稚、絶句。
丁稚「うーん。たぶん、書評家棚の方たちって、蔵書を出すんだと思いますよ。”著名人の蔵書”が、PASSAGEの看板の一つになるんだと思います。會長、一応、著名人なんで、會長の書き込みがある本とか喜ぶ人が世の中にいるかもです。」
會長「そういう本は、僕、手放さないよ。なんで売るの?意味わからん。」
丁稚「ひー。じゃ、これから出す本、どうするんですか。だって、プロデューサーの鹿島茂さんは、家にあふれる蔵書を出すっておっしゃってましたよ。」
會長「鹿島さんは、棚ごと買うような本の買い方をしてる人でしょ。蒐集家なんだから。僕、そういう買い方しないもん。」
丁稚「でも、いらない本、少しはあるでしょう。探してくださいよ。」
會長「あ、いらない本、ある!こういうの。」
カメラの前から姿を消した會長が、にこにこ顔で抱えてきたのは新刊の山。
丁稚「……會長、それって、出版社とかからの献本じゃないですか?」
會長「そうだよ。これ全部いらない。出せるよ。」
丁稚「いや、それだめ。」
會長「なんで?」
丁稚「なんで、て。」
たしかに、「なんで?」だな、と丁稚は考え込みました。
だって、欲しいとも思ってない本を、「書評書いて」「なにかしら宣伝して」といった先方の勝手なお願いとして一方的に送りつけられているのですものね。知り合いの人が書いた本ならともかく、知らない人が書いた興味もない本を常に送りつけられる會長のような立場の人は、いらない本がたまってたまって、けっこうたまったもんじゃないんじゃないか、と、丁稚は初めて気づきました。
會長が言う通り、全然「だめ」じゃないかも。
丁稚「気持ちはわかります。でも、新刊はちょっと。筆者とか出版社の人が見かけたらいい気持ちはしないでしょうから、やめときましょう。」
會長「そう?」
いらない本の山をどこかに戻しに行く會長の後ろ姿を見ながら、日々、世の中に本がどんどん、どんどん、どんどん出版され続けて、それを売るために會長のような「欲しがってない人」たちに新刊の本がどんどん、どんどん送りつけられてきて、それで「本が売れない」「本離れ」と嘆かれているのが、丁稚にはなんだか不思議に思えました。
いつか、社会経済学者の會長に聞いてみよう。――
ということで、松原商會では、「松原隆一郎が読んだ蔵書」を棚で売ることはありません。