書評者と著者と読者の本屋「松原商會」@PASSAGE by ALL REVIEWS のBlog

社会経済学者・松原隆一郎(放送大学教授、東京大学名誉教授)と丁稚が営む、書評と書評された本と読者をつなぐ一棚書店

# 3 松原商會の船出まで その2 ―3分 de『頼介伝』

2022年2月27日、開店当日の松原商會。一見、よくわからないラインナップ

「(だいたい)ひと月ごとにテーマを決めて本を売っていこう」と決めた松原商會。

最初のテーマは「大正、戦前戦中、戦後と『松原頼介が見た日本経済』」

松原商會の店名は、會長の祖父、頼介さんが創業した会社の一つからとったものなので、オープン最初の月は、自己紹介の意味もこめて、會長が頼介さんの起業家人生を調べて書いた『頼介伝』とその関連本をお売りすることにしました。

會長が『頼介伝』の関連本として選んだのは、谷崎の『細雪』、黒木亮『鉄のあけぼの』、山崎豊子華麗なる一族』、城山三郎鼠―鈴木商店焼打ち事件』。

『頼介伝』とどう関連するのでしょう?

それをご説明する前に、じつは、『細雪』も『華麗なる一族』も、開店から1年半たった今もまだ棚にじっといるので、ぜひ、ここで宣伝させてください。

松原商會にいらしたら、ぜひ、本を開いて立ち読みしていただけるとうれしいです!

じつは、松原商會の本には、松原會長が、この本を手にとってくださる方に向けてせっせと書いて、丁稚が切って貼った「會長のコメント」が、1冊の中のあちこちに貼ってあるんです。

でも、全然気づかれてない!

丁稚の作業風景

本を開くと、コメントする會長がいろんなページにぴょこんと現れます。直筆サイン付き。(はがせるシールになってます。)

Twitterで写真付きで宣伝したり、棚のPOPで宣伝したりしても、気づいてもらえません。

付録の存在すらお客さんに伝えられない!

開店早々、丁稚は、いろんな本を上手にアピールしている世の中の全書店員さんのプロフェッショナルなお仕事に尊敬の念を深めました。

―― 話を戻しますと、なぜ、『頼介伝』の関連本が『細雪』や『鉄のあけぼの』や『華麗なる一族』や『鼠―鈴木商店焼打ち事件』なのでしょうか?

それをご説明するにはまず、『頼介伝』がどんな本かをお伝えする必要があります。

3分de『頼介伝』

『頼介伝」の目次です。

『頼介伝』の目次

ここで、話し下手の丁稚があらすじをご説明しても、たぶん全然わかっていただけないと思うので、あるお二人の『頼介伝』をめぐるおしゃべりをご紹介したいと思います。

『頼介伝』の概要を知っていただけるだけでなく、より深く、広く、おもしろさを感じていただけるはずです。

鹿島茂さんと松原會長による『頼介伝』対談

シェア型書店「PASSAGE by ALL REVIEWS」のオープンと同時に、その一書店として松原商會が開店した日から約一か月後の2022年3月28日、PASSAGEの母体である書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」のイベントで、同サイトのオーナーでありPASSAGEのプロデューサーでもあるフランス文学者の鹿島茂さんが、『頼介伝』についての対談を會長に提案してくださいました。

allreviews.jp

対談はPASSAGE店内で行われ、丁稚も隅で聴かせていただきました。

ライブ配信とのことで(アーカイブ視聴も可能です)、配信作業はPASSAGE店主の由井さんがお一人で担当。鹿島さんも由井さんも慣れた調子でてきぱきと準備が進み、由井さんの「では、行きます」の一言で配信スタート。會長もメディアに出慣れているのでいつもの無表情。唯一何もしてない丁稚だけ、なぜか緊張でカチコチになっていました。

 

2022年3月28日、PASSAGE店内にて鹿島茂さんと松原隆一郎會長が『頼介伝』について対談中

『頼介伝』は「神戸の都市文化論」であり、一人の無名の起業家の「ファミリーヒストリー

「頼介さんの起業家人生について書かれた本ですが、神戸の町の来歴がこの本の縦の線になっていますね。一つの都市文化論になっている。」と、鹿島さん。

そうなんです。『頼介伝』は神戸の2つの町の来歴が軸になっていて、終章は「神戸についての省察」です。

軸になる町の一つめは、東出町。

頼介さんは、フィリピン・ダバオで興した麻事業をやめて帰国し、1918(大正7)年、出身地の山口県には戻らず、なぜか神戸の東出町に流れ着きました。

神戸で生まれ育った會長ですら存在を知らなかった東出町。會長が調べてみると、知られざるこの町は、頼介さんが住みついた当時、ものすごいエネルギーが渦巻いていた、日本経済の中心と言っても過言ではない特異なエリアだったことがわかります。のちに、この地に川崎重工が生まれます。

東出町に、頼介さんと同じ時期に住んでいたのが、

山口組初代・山口春吉

作家・横溝正史

日本画家・東山魁夷

ダイエー創業者の中内功

です。頼介さんと、道ですれ違っていたはず。

頼介さんが、1922(大正11)年2月1日、「松原商會」を設立したのも東出町です。

軸になる2つめの町が、魚崎町。會長が生まれ育った町です。

會長が「戦中の魚崎」の地図を書いてくれました。

頼介さんの家は住吉川沿い。會長の母校、灘中・高の隣りです。

會長(昭和33年生)が生まれ育った家は、その右のほう。

そして、まず注目していただきたいのが、頼介さんの家から住吉川の対岸を200メートルほど下ったところにある「谷崎邸」。谷崎潤一郎が『細雪」を書いたことで知られる「倚松庵(いしょうあん)」です。

細雪』の物語は1936年11月から始まっているので、『細雪』の4姉妹の生活は、同年4月に住吉川沿いに住み始め、住み込みの女中さんを4、5人使って豊かに暮らしていた頼介さんの暮らしと同じ空気が描かれているのです。「阪神間モダニズム」の世界ですね。

「頼介は、お札に火をつけて風呂に入ったことがあるそうです」(會長)

鹿島さんは、阪急電鉄創業者・小林一三の伝記『小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』を書いていらっしゃることもあって、頼介の事業や生活ぶりに強く興味を感じていらっしゃる様子でした。

さらに、地図の右下のほうにあるのが、川崎製鉄初代社長・西山弥太郎の家

西山は頼介さんの碁仲間で、ワンマン経営者だった頼介さんが唯一信奉する人でした。碁を打つ合間、西山は再三「これからは鉄の時代だ」と頼介さんに熱弁し、影響を受けた頼介さんは製鉄業を興します。

西山弥太郎の人生を描いた作品が、黒木亮『鉄のあけぼの』です。

會長は小学校に上がると、頼介さんに自分が興した工場に外車で連れられ、100人超の従業員がずらっと並ぶ前を一緒に歩きながら「大きうなったら、隆一郎がここを継ぐんじゃ」と言われて育ったそうです。華麗なる一族』の鉄平そのもののような會長の子ども時代が、『頼介伝』に書かれています。

頼介さんはそうやって、戦前・戦後に大きな事業をやり遂げていたのに、その経営の記録を何も残しませんでした。財務は全て頼介さん一人でやり、経営の詳細は、後継ぎとして育てていた孫の會長にも、会社の誰にも明かさないままでした。

そんな頼介さんの謎を解くヒントになる、と會長が直感したのが、神戸で大貿易会社、鈴木商店の大番頭にのぼりつめた金子直吉を描いた、城山三郎『鼠―鈴木商店焼打ち事件』でした。実際、金子直吉は「頼介と似ている!」と、會長は唸ることになります。

鹿島さんは、

「神戸の『山を削って埋め立てる』開発の仕方は満州と同じ。」

「家から出される優秀な次男、三男が日本近代史にかかわっている。」

「頼介さんは、鮎川義介日産コンツェルン創始者)、大谷米太郎ホテルニューオータニ創業者)、バルザックの「川上願望」と共通するメンタリティがある。」

「起業家は未来を予想する。未来に賭ける。」

などなど、『頼介伝』から読み取られたことを、楽しそうに會長に語られます。

鹿島さんは、「entrepreneurのメンタリティ」に強い共感を抱いていらっしゃるような気が、丁稚は、しました。だから、小林一三のほか、渋沢栄一の伝記も書いていらっしゃるのでしょうか。

なので、話は、鹿島さんご自身も経験してこられた「ファミリーヒストリーの調べ方」についても。

「複数のウラをとります。情報は全てとる。第一次情報は大切です。全て自分で調べます。法務局によく行きました。」(會長)

そうなんです。丁稚が『頼介伝』を読んでまず圧倒されたのは、會長のものすごい徹底調査ぶりです。

會長は、船の写真を何枚か見つけます。頼介さんは造船業も興していることがわかったので、たぶん頼介さんの会社が作った船。でも、誰がどこで撮ったものかわからない。

會長は「戦時日本船名録」から頼介さんの会社が造った船の名前を見つけ、写真の撮影場所を探して、行ったことのない島に出かけ、知らない人の家を訪ねて話を聞いたり、地元の図書館のレファレンスに問い合わせたり、タクシーの運転手さんに質問したり、法務局に行ったり、たまたま「役所」と書かれたワゴンカーがやってきたので乗っている市役所の人に質問したら税務署に行くとわかるかもと言われて税務署で地番を確認したり、堤防をよじのぼって蛇とフナムシがウヨウヨいる砂浜に飛び降りて眺めを確認したり、そういうことをこつこつ、こつこつ重ねて、いつ、どこから撮った写真かを特定したりしてるんです。船の進水式の写真で歓喜して手を振っているおじいさん(頼介さん)の気持ちを、80年の時を超えて、おじいさん(頼介さん)が立っていた場所で体感するために。

『頼介伝』の表紙に使っているこのシュールな写真も、會長が実家を整理していたら出てきた謎の一枚で、調べてみると驚きの事実がわかりました。

會長が、お父さんの死をきっかけに、祖父・頼介さんについて、ほとんど手がかりがない状態から「社会経済学者」の目で調べあげ、一冊の本として世に出したのが、『頼介伝』です。

フィリピンに渡って開墾事業を興し、日本で造船業を興し、帆布会社を興し、製鉄業を興し ―― 戦争、二度の高度成長期とともに、栄え、沈み、また起ち上がる頼介さんという無名の起業家の人生を通して、日本近代史を「体感」できる本です。

松原商會も、頼介さんのように、何度倒れても元気にぴょん!と起き上がる本屋さんでいたい、と丁稚は思います。

『頼介伝』がどんな本か。なぜ、『細雪』『鉄のあけぼの』『華麗なる一族』『鼠―鈴木商店焼打ち事件』が関連本なのか。

ふわっとおわかりいただけたのではないでしょうか。